仙台国際日本語学校

「仙台国際日本語学校」は宮城県仙台市にある日本語学校です。

お問い合わせ

メニュー

仙台国際日記(ブログ)

授業のこぼれ話 #4 「来」から漢字の指導について考える①

2022.06.16

言わずもがな、日本語学習者にとって漢字は、学習における大きな壁の一つである。
その難しさを少しでも緩和させるため、我々教師陣は授業の際に(その前後に)様々な工夫を施している。
試みに「来」という漢字を教える際のことを例にしてみよう。

私の場合であるが、まずは漢和辞典に当たることが多い。
字源や成り立ちが指導の役に立つことが多く、その信頼性も高いからである。
学校の書棚には、日本語学習者向けに編まれた、イラスト付きのライトな漢字の覚え方の本も少なくない。
だが、それらの説明は漢和辞典の解説と合致していることは稀であり、どうも気に入らないのだ。
(その説を採用すると、漢字圏の学習者が「ん?」という怪訝そうな顔をすることもしばしばである)
だから、多少手間ではあっても漢和辞典のほうに相談することになる。
手元の辞典には「来」について以下のような説明がなされている。

来(甲骨文字).jpg

           <辞典のそれとは若干異なるが、「来」の甲骨文字>

「むぎの実った形を表す。むかし、周の国が天からさずかって農業をはじめたという、めでたい穀物である。
天から来たということから、『くる』の意味を表す。」

なるほど。
しかし、これをそのまま授業で用いることは難しい。
まず「むぎ」ということばを事前に説明しなければならない。
新しい字を学ぶ前段階として、新たな語彙を理解していなければならない、というのは、いかがなものか。
また辞典の旧字体はむぎの象形であるそうだが、私の脳内では短時間であの「むぎ」の像とは接続しない。
加えて中国や日本などの漢字文化圏は、麦よりも米の文化なのでは? というのは学習者も抱きそうな問いだ。

そこで、辞典の説とは異なってはしまうが、独自の「覚え方」を考える。
まず「来」の字を「一」と「米」に分解する(両者は既習の字であることがポイントだ)。
そして「一」は、字の中で高い位置にあることから「天」あるいは「神」ということにするのだ。
こうすると、「米は天から来た、ありがたい穀物である」という「覚え方」が完成する。
そして授業で学生たちには「天」に見える横線と「米」のイラストの組み合わせとともに提示するのだ。
賛否あるとは思うが、金八先生の「人」も、年号や円周率の語呂合わせも、これと似たようなものである。

このような作業を数回繰り返し(もちろんストックや情報の共有はあるが)、一回の授業を作り上げていく。
こうして一つひとつ、丁寧に字と、そしてその先の学生と向き合っているにも関わらず、ときに漢字は非情だ。
というのは、...。

この続きは次回。


(瀬戸)

ページの先頭へ