仙台国際日本語学校

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仙台国際日記(ブログ)

授業のこぼれ話 #5 「来」から漢字の指導について考える②

2022.07.08

前回からの続き。

では、どう「非情」なのかということだが、それは「読み」の問題がさらに乗っかるからである。
おさらいすると前回書いた内容は、漢字の持ついくつかの要素のうち、字形と字義についてのものであった。
教える側による、学ぶ側が字形と字義を結び付けやすくするための工夫、と言い換えてもいいだろう。
これだけでつい教える側は満足してしまいがちなのだが、その背後にはまだ「読み」という難敵が控えている。

来(甲骨文字).jpg

当校で採用している初級の漢字のテキストには「来」の読みは、音読みは「ライ」、訓読みは「く」とある。
ここまでは言わば想定の範囲内だが、問題なのはその後だ。

注意を求める米印とともに、上記の音読みと訓読みの説明の下部には、小さくこのような記載がある。
「『来(き)ます』『来(き)て』『来(こ)ない』『来(き)た』と読みます。」

何が「問題」なのか、日本語を母語としている方には、なかなかおわかりいただけないかもしれない。
だが、一度その母語話者という枠の中から出て、ニュートラルな視点から考えてみてほしい。
一つの文字に、一体何通りの読み方があるのだ、と。

整理してみよう。
テキストに記載されている「来」の読み方は「ライ」「く」「き」「こ」の計4つだ。
これを語彙や活用によって使い分け、読み分けをしなければならないのである。
ちなみにこれは「初級」レベルの話であり、「出来(しゅったい)」や人名・地名などは除いた話である。
(そういえば小学校のときの同級生に「来」と書いて「きたる」と読む子がいた)
これを「非情」と言わずして、何を「非情」と言うべきであろうか!

あなたが外国語を学習しているとして、その言語の中にこのような文字が存在したら、どう思われるだろう。
しかも、これが極めて特殊な事例ではなく、その言語の中ではそう珍しくもない現象であったとしたら...。
その言語に対する学習意欲は、お祭りで買った水ヨーヨーよりも急速に萎んでしまいはしないだろうか。
ちなみに読みが最も多いとされる字は「生」で、その数は12に上るという...。もう...。


ここまで書き連ねてきたことを通して何が言いたいかということを完結にまとめよう。

①字義と字形を(運よく)結び付けられたとして、その成果が「読み」によって相殺されることがある。
②その「読み」の問題を、教える側として(体系的に)攻略する術は今のところ見つかっていない。
③そのような中でも学習は進められなければならず、特に学習者には相当の努力と忍耐が必要なのではないか。

以上が「来」から考えた漢字の指導、引いては学習についての話であった。
日本語教育について、ともすれば文法や発音などの点に目が向きがちだが、このような側面もあるのである。
読者諸賢はいかが思われただろうか。


(瀬戸)

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