『吾輩は である』#2
2021.04.12
今年の1月から2月にかけて、1クラスのiタイムで新たな取り組みが行われました。
その概要については、担当されたS藤先生の文章を引き、すでにお伝えした通りです。
現在、学生たちの作品をご紹介中。
今回はロシアのVロニカさん作『吾輩はかがみである』です。
吾輩はかがみである
吾輩はかがみである。名前は「大きなかがみ」である。これは当たり前のことだと思う。家にあるかがみの中で一番大きいからだ。この家に来た時からもう三十年以上たつ。あの時をあまり覚えていないが、あの時からずっとろうかにかけられている。吾輩の前に出入口のドアがあるから、誰が入っても、家に入ると、すぐに吾輩と目が合う。だから吾輩はこの家の看視者だと言っても過言ではない。
この家には三人の家族が住んでいる。お父さん、お兄ちゃんと娘だ。お父さんもお兄ちゃんも吾輩のことを無視している気がする。出るときも入る時も吾輩を一瞬しか見ていない。おーい、お父さん、自分が吾輩をここに持って来たくせに...。もっと見てほしいよ。
この家族で吾輩の重要性が分かっているのは娘だけだ。彼女は一日に何時間も吾輩に見られている。いろいろな服を試着して、メイクして、とても楽しそうに見える。
時々家にお客が来る。この時が吾輩にとって一番楽しい時である。皆は何回も吾輩を見ている。もしお客の中に子供がいれば、子供は吾輩の前でおもしろい顔をして、吾輩を笑わせる。一緒に笑うのはとても楽しい。
だが忙しい時もあれば、暇なときもある。吾輩にとって一番嫌なときは家に誰もいない時である。本当に退屈だ...。ろうかにかけられて、窓さえ見えない。見えるのは出入口だけだ。このドアの小さい傷まで知っている。いつ人間は帰るのか...。自分の気持ちを誰にも見せていないが、実は吾輩でも皆がいないと、寂しくなる。皆と一つの家族であるからだ。
モノを擬人化した、あるいは「モノに命が宿る」という概念・精神を感じるVロニカさんの作品。
曇ったり、割れたり、他のかがみと合わせたりと展開させれば、長編の小説にもなり得るのでは...。
今回の作品群の中でも、題材は異彩を放ち、(心理)描写も細やかで彼女らしく仕上がっていると感じました。
▼本シリーズについては以下も併せてご覧ください。
・『吾輩は である』#0
・『吾輩は である』#1
(瀬戸)